2000年代

原爆の子の像(広島市平和記念公園)
原爆の子の像(広島市平和記念公園)

  非核への熱意

   ――核保有大国の狭間で


愛唱歌「ヒロシマの少女の折鶴」

 「ヒロシマの少女の折鶴」。原爆症で12歳で亡くなった佐々木禎子さんのことを、日本人留学生から聞いたモンゴル人が1970年代に作った歌である。私は不覚にもモンゴルに留学していた2年間、この歌を知らずに過ごした。帰国後、モンゴルの国民的愛唱歌であることをマスコミ報道を通じて知った。

 モンゴルを再訪した1993年、ウランバートルから帰途の列車の中で、同じコンパートメントの女性にメモ帳に歌詞を書いてもらい、歌唱指導してもらった。列車は遅れ、イルクーツクまでかなり時間がかかったが、歌ったりおしゃべりをしていると、あっという間だった。

 ツェレンサムを始め20歳代の彼女らは、この歌をよく覚えていた。学校などでよく歌ったという。本当に国民的愛唱歌なんだと思った。

 悲しくて力強い歌詞とメロディー。この夏、いくつかのテレビ番組でこの歌のことが取り上げられたようだ。日本で活躍する歌手オユンナがこの歌を歌い続けてきた。CD「生命あるものはみな」(1998年、ポニーキャニオン)に収録し、今年8月にはシングル・リリースしたと聞く。


非核モンゴルへの外交努力

 1992年、当時のオチルバト大統領が国連総会で、モンゴルが非核地帯になることを一方的に宣言した。オチルバト元大統領は核戦争の市民防衛計画に関わるエネルギー省役人の経歴を持つ。中ソ対立時代の1960年代には実際に核シェルターがつくられ、市民の避難訓練を繰り返したと話している(2001年8月26日付『朝日新聞』)。

 核保有大国に挟まれた国の、核の脅威への不安や危機感は想像以上に強い。92年に旧ソ連軍がモンゴルから完全撤退したことも、非核化を後押しした。

 非核兵器地帯宣言をしただけにとどまらず、93年から94年にかけて、ロシア、米国、中国、イギリス、フランスの核保有5カ国と個別に交渉し、非核の立場尊重をそれらの国に認めさせ、98年12月には、モンゴルの非核地位に関する決議が国連総会で採択された。非核地位の宣言を歓迎し、加盟国はそれを強化するための必要な措置を、モンゴル国と協力してとることを奨励する、というのが主な内容だ。

 核保有国の反対で非核地帯にはならなかったが、稀有な自然を持ち、2つの核保有大国の間に位置しているという特殊性から「非核地位」が認められた。もちろん、モンゴルの粘り強い外交努力の賜物である。

 2000年2月3日には、非核兵器化に関する法律がモンゴル国会で採択された。核兵器を「つくらず、持たず、持ちこませず」にとどまらず、「運ばず」「実験せず」「核兵器廃棄物を廃棄させず」「通過させず」も加わる。非核状態を保つための外交努力や国内査察の条項も盛り込んでいる。外務省のガンニバル広報部長は、このような非核法を持つ国は他にないと話す(2000年10月10日付『ウドゥリーンソニン』)。

 2000年10月、核保有5カ国がモンゴルの非核地位に関し安全を保障する共同宣言を発表した。ガンニバル広報部長がこうした一連の動きを非核化への歩み始めだと言ったように、まだ実効性は確保されていない。

 2001年9月、札幌で非核モンゴル支援策を協議する国連会議が開催された。現状ではモンゴルの非核化に法的拘束力がないが、実効性を持たせるためにどう打開するか検討されたという(国連広報センター『Dateline UN』2001年10月号)。


北半球も非核化へ

 ラテンアメリカ非核地帯条約、南太平洋非核地帯条約など国際的な非核地帯はいくつかあり、南半球はほぼ非核地帯で覆われている。だが、一国非核地帯は例がない。

 国内法としての非核法は、ニュージーランドの非核地帯・軍縮・軍備管理法(1987年施行)がある。フィリピン憲法(1987年成立)、ベラウ共和国憲法(1980年成立)には非核条項が盛り込まれている。だが、フィリピンでは88年に憲法に基づく非核法案が上院で可決されたが、下院で止まってしまった。ベラウ共和国は米国に自治連合協定を押しつけられ、住民投票で成立した憲法は幻となった。ニュージーランドは絶えず米国から、非核政策を放棄するよう圧力をかけられる。

 こうしたことを考えると、「特例」とはいえ、モンゴルが非核国化に踏み出したことは画期的である。カザフスタンなど5カ国の中央アジア非核地帯条約も近く調印される。北半球も非核化に向けて踏み出すことになる。

 2002年、ブッシュ政権下の米国政府は核抑止から核兵器使用政策へと転換した。核の脅威が高まる今、核攻撃を受けた唯一の国・日本が核兵器廃絶へのイニシアティブを発揮すべきところだが、政府は非核三原則の法制化すら拒んでいる。

 日本政府には非核への熱意をモンゴルに見習ってほしい。米軍の大規模駐留を許している日本は、モンゴル以上に核の脅威にさらされているといっても過言ではない。


<『モンゴル通信』№45(2002年10月、アルド書店)掲載>