2000年代

粉末のスーテイツァイ(モンゴルミルクティー)
粉末のスーテイツァイ(モンゴルミルクティー)

ウランバートル2003年夏(下)

変わりゆく人々


夏休みも取らずに働く人

 ウランバートルに招待してくれた人の自宅に招待されなかったことが、今回の訪問での大きな驚きである。6年前に宿泊もさせてもらったマンションからは引越していて、「あそこが新しい我が家」と指し示してくれたが、期待に反してそこでご馳走になることはなかった。ウランバートル滞在中の知り合いの日本人に聞いても、知人宅に招かれることはあまりなく、会うときは大概レストランだと言っていた。

 ひと昔前の留学時代、どれだけ知人や友人の家で手作り料理をごちそうになったことか。だが、外食店が少なかった時代は、そうせざるを得なかったということだ。ここ数年でレストラン、カフェ、食堂などが急増した。しかも韓国料理、中国料理、フランス料理、日本料理の店、ファーストフード店など多様化してきている。

 また、生活が忙しくなってきたから、人を招いて食事を出すなんてなかなかできないのだろう。

 知人宅は事業家で、夫婦ともども朝早くから夜遅くまで、夏季休暇も取らずに働いているという。元々モンゴル人にしては勤勉だと思っていたが、今回会ったら、日本人以上に働きバチになっていて、お金儲けに必死だ。

 郊外に車で連れて行ってくれたが、仕事があるからととんぼ帰りして、小一時間ほどで迎えに来たのには驚いた。もう少しゆとりを持たなければ、いい経営ができないよ、と言いたくなった。誰もが1カ月もの夏季休暇を楽しんでいた十数年前から見れば、働き方も暮らし方も様変わりである。

 生活が多忙になると、料理に手間をかけていられない。スーパーマーケットや市場には、いろんな加工食品やインスタント食品が並ぶ。袋入り粉末のスーテイツァイ(モンゴルのミルクティー)を市場で見つけた。日本に持ち帰りときどき飲んでいるが、まずまずの味だ。


スーパーの果物売場  実に多品目(サーカス劇場近く)
スーパーの果物売場 実に多品目(サーカス劇場近く)

スーパーやバスで見た豊かさと貧しさ

 サーカス劇場近くのスーパーマーケット(おそらく外資系)に入ったが、食品、日用品などの品揃えは豊富だった。

 乳製品が日本より種類が多いのはわかるが、果物の種類の多いこと。スイカ、メロン、ぶどう、リンゴ、かんきつ類、バナナ、パイナップル等々、輸入果物がずらりと並ぶ。ここは特別な店かもしれないが、こんなに多品目の果物を一堂にそろえるスーパーは日本でもあまりないだろう。

 乳製品コーナーで500ml入りアイラク(馬乳酒)を発見。今回は地方に行かないからありつけないと思っていたが、さっそくホテルで飲むととてもおいしかった。

 隣の市場は、スーパーより賑わっていた。野菜売り場では「モンゴル産新じゃが」とか「ロシア産たまねぎ」などと産地を表示している。肉売り場には新鮮そうなかたまり肉が並んでいる。スーパーの肉と違って冷凍肉ではない。

 こうして見ると、生活が豊かになってきたようだが、果たしてどうなのか。月16万トゥグルク(1トゥグルク=約9円)程度の平均所得、約4万トゥグルクの最低賃金を考えると、先ほどのアイラク850トゥグルクもファーストフード店のラーメン1800トゥグルクもかなり高い。副業を持って稼がないと生活できない状況は、6年前と同じだ。

 6年前、公営バスの運賃は100トゥグルクだった。今は2倍の200トゥグルクで、10年前の93年と比べればちょうど20倍だ。切符を見ると、いまだに「社会主義」時代のものを使っているのか、値段表示は50ムング(0.5トゥグルク)だった。ムングという単位は今はない。

 バスに乗っていたら、女性の車掌が何人かのお年寄りに向かって乗車賃を払え、払わないなら降りろと怒っていた。お年寄りは堂々と、頑として払おうとしないが、とうとう雨の中、降ろされてしまった。ある若者はずる賢く2人で1枚を共用するのか、降りる寸前に切符を友人に廻していた。

 だが考えてみれば、200トゥグルクは高過ぎる。3万トゥグルク程度の年金暮らしにはこたえるだろう。大阪市営地下鉄の初乗り200円も常々高いと感じているが、もし3~4万円程度の収入だとしたら、とんでもない高さである。

 街にはモノや食べ物があふれているが、何でも高いからほとんどの人が生活に追われる。誰もが副業に励み、韓国に出稼ぎに行こうとする。滞在中、「質屋」のシステムをドラマ仕立てで解説するテレビ番組を見たが、借金漬けの人もきっと少なくないだろう。

 一見、隆盛めざましい市場経済も、国内生産力の発展に支えられていない危うさがある。外国資本や輸入品がどんどん入ってくるため、国内産業をじっくり育てる暇もないのではないか。

 それにしても、すっかり変わってしまった知人一家を身近に見るのは、ちょっと寂しい。人の生き方まで変えるグローバリズムの勢いを垣間見た思いである。モンゴルの老人みたいに「昔はよかったな」とつぶやきたくなった。


<『モンゴル通信』№49(2004年9月、アルド書店)掲載>