1990年代

デチン・チョンホル・ラマ寺(スフバートル県オールバヤン郡)
デチン・チョンホル・ラマ寺(スフバートル県オールバヤン郡)

1997年夏の印象――モンゴル東部へ2000㌔の旅(5)

草原の可能性


 地域おこしはいかに?

  ナムジム先生のお兄さんトゥムル氏の家の前に広がる牧草の香りは、とても芳しかった。アギ(ニガヨモギ)と思ったが、シャリルジュ(カミツレ)だそうだ。アギより清涼感がある匂いだ。いい香りに包まれ、気分がさわやかになる。まさに天然ハーブのアロマセラピーだ。

  実はアギとシャリルジュを少し摘んで日本に持ち帰ったのだが、ドライフラワーの状態で1年経った今も香りが残っている。

  いい香りの牧草をエッセンシャルオイルにして「モンゴル草原の風」で売り出したら売れるかもしれない。いや、大量に摘んだら、貴重な牧草資源を荒らしてしまう、などと考えながら、単調な草原の風景にも土地によって草の種類が違っていたのを思い出す。

  ナムジム先生が日本のことをお兄さんに説明するのに「非常に森林が多い国だ」と話していたのが印象的だ。都市部の過密ぶりも強調していたが、モンゴル人にとって日本の森林の多さは驚きだろう。

  国土に占める森林面積の割合はモンゴルが8%に対し、日本は67%。環境破壊は相当進んでいるが、日本は今も世界有数の森林国なのだ。

  逆に日本人にとって、モンゴルの見通しのいい草原は別世界である。雲も地平線も何もかもくっきりはっきり見える。雲の影が草原に映っているのも、遠くの雨がこちらに近づいてくるのも見えてしまう。

  情報が増えるにつれ、モンゴルに行く日本人観光客はこれからも増えるだろう。モンゴルでも観光連盟ができ、ますます観光に力が入っている。中国国境に近いダリガンガに新しい観光ゲルが建設されていたし、日本留学帰りのモンゴル人がウブルハンガイ県辺りで温泉ホテルを始めたといった話も聞いた。

  自然保護と観光を両立させるエコツーリズムの方向をモンゴル観光局は考えているようだ。ぜひ、その方向で進めてほしい。ナチュラリストのガイドで草原を案内してもらえたら、どんなにすばらしいか。

  いずれにせよ草原の地域おこしは容易ではないが、人々の暮らしがもう少し便利にならないものか。せめて水汲みの苦労は何とかしたい。

  ナムジム先生の墓参りに同行したとき、井戸に立ち寄った。長い棒の先に付けた袋で井戸水を汲み上げていた。井戸にポンプぐらいつけてもいいのにと思う。

  だがこのオールバヤン郡にも新しい建物があった。郡の中心地にデチン・チョンホル・ラマ寺が建てられたのは1991年だ。内も外も極彩色の仏教寺院だ。

目的地の一つダリガンガは、全国的に知られる名所旧跡の地だ。

  ウランバートルから東南へ約560㎞行くとスフバートル県の県庁所在地バローンオルト。ダリガンガはそこからさらに南へ約170㎞の中国国境地域である。


祭=ナーダムに集う人々(ヘンティー県ガルシャル郡)
祭=ナーダムに集う人々(ヘンティー県ガルシャル郡)

名馬の産地でお祭

  モンゴル東部地域の競馬ナーダム(祭)も新しい取り組みである。1997年8月15、16日にヘンティー県(スフバートル県の西隣)ガルシャル郡で開催されたが、実は私たちはスフバートル県に入る前に、この祭を見に行った。

  ガルシャル郡は1880~90年代に当地の領主ミンジュードルジ・プレブジャブが競馬ウマの飼育に力を入れて以来、大きなナーダムで何度も優勝するなど、名馬の産地として全国的に有名だという。調教師らの提言で、この地でナーダムが1997年から3年毎に開催されることになった。<アルディンエルフ 1997.4.15 No.81>

  あいにく競馬は終わった後だったが、モンゴル相撲を見ることができた。会場は一張羅のデールを着た人たちで熱気にあふれていた。東部各地から馬やオートバイに乗ってやって来たのだろう。草原に潜むエネルギーや可能性を感じた。


<『モンゴル通信』№31(1998年8月、アルド書店)掲載>