2000年代

馬の群れ(ヘンティー県1997年8月)
馬の群れ(ヘンティー県1997年8月)

よい馬は道の友

――モンゴルの<馬のことわざ>


 日本でも馬との付き合いは深く長かったため、馬が登場することわざは多い。「馬が合う」「馬の耳に念仏」「生き馬の目を抜く」「尻馬に乗る」「馬脚を露す」「天馬空を行く」「名馬に癖あり」など、思いつくだけでも20ほどあろうか。

 だがモンゴルには負ける。何しろ「馬のないモンゴル人は翼のない鷲と同じ」ということわざがあるのだから。N・ザヤバートル編『モンゴルのことわざ3000撰』から「モリ(馬)」が出てくるものをざっと拾ってみると、100は下らない。アドー(馬群)、グー(雌馬)、オナガ(仔馬)などが出てくることわざも含めるとさらに増える。

 「よい馬は道の友、よい妻は生涯の伴侶」「よい馬に鞍は一つ、よい娘に男は一人」「よい馬に飼い主あまた、よい人に友あまた」「よい馬は疲れない、よい男はふさぎこまない」「よい馬も三度鞭打てば傷ができる、よい言葉も三度言えば冗談になる」など、「サイン・モリ(よい馬)」が出てくるものが多い。

 原文ではいずれも対句になっていて、音韻を踏んでいる。訳のまずさはご勘弁を。

 逆に「モー・モリ(悪い馬)」が出てくるものは、「悪い馬は一日の旅にも耐えられない、愚かな人は一言の厳しい言葉にも耐えられない」の一つぐらいだろうか。「馬の耳に念仏」「馬の骨」のように、馬をけなすようなことわざはモンゴルにはないようだ。モンゴル人にとって、馬がどんなに特別な存在なのか想像できる。だが、「天馬空を行く」のように遠い存在にはしない。

 日本には「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」ということわざもあるが、モンゴルでは「見知らぬ馬に背後から近づくな、見知らぬ人に胸の内を明かすな」とくる。意外と慎重である。

 「道の石は馬の邪魔、怠け者は仕事の邪魔」「怠け者に娘をやるな、酔っ払いに馬をやるな」「やせた馬は太る、病人はよくなる」「山は馬を苦しめる、怒りは身を苦しめる」「人のよさは死んだ後に、馬のよさは売った後に」「鞍があれば馬は見つかる、愛想があれば夫は見つかる」など、馬との密接な暮らしから生まれ、人生訓となったことわざが多い。

 「馬ほどよい乗り物はない、らくだほどよい運搬手段はない」。今も地方では、馬はなくてはならない交通手段だ。

 2001年、モンゴル政府は、日本の4倍もある国土に縦横に舗装道路を造る大プロジェクト「ミレニアム・ロード」に乗り出した。いつの日にか、草原の日常から馬が消えていくかもしれない。しかし「よい馬は道の友」などのことわざは残るのだろう。


<『モンゴル通信』№43(2002年1月、アルド書店)掲載>