2000年代

カフェテラスのあるレストラン
カフェテラスのあるレストラン

ウランバートル2003年夏(上)

変わりゆく街並み


 この8月、知人の招待で6年ぶりにウランバートルを訪ねた。滞在は実質2日半ほどだが、厚かましくも紀行文を書いてみたくなった。

 新しい建物、商店や飲食店がどんどんでき、車が増えるなど、街は大きく変化しているが、6年前、10年前に訪れたときほどの驚きはない。「社会主義」時代に留学していた者にとっては、90年代初めの市場経済の広がりは劇的変化であった。今の変化はその延長線上でしかない。

 まず、ボヤントオハー空港の建物が新しくなって、飛行機のドアから直接、建物に入れるようになった。よく来るらしい日本人観光客が「前の方がよかった、タラップを降りたら、ハーブの匂いがして、いいところに来たなと実感するもの」と言っているのを耳にした。そういえば、建物にしみついていた羊の匂いも消えている。


少し雨量が多くなると道路が冠水(国会議事堂の西)
少し雨量が多くなると道路が冠水(国会議事堂の西)

こわい道路

 中心部に来たら、車の流れが滞る。多少たりとも渋滞は、6年前にはなかったのではないか。

 モンゴルの新聞を読んでいると最近、交通事故の報道が多い。この8月末の週末29~31日に、ウランバートル市内で22件の交通事故が起き約20人が負傷し、地方でも大きな交通事故が2件起き5人が死亡している(『ウヌードゥル』2003.9.2)。

 80年代半ばでも「こんな車の少ない街で轢かれて死んだなんてモノ笑いだ、気をつけなくては」と思ったほど、コワイ運転手が多かった。今は、信号のある横断歩道を渡るにもヒヤヒヤする。歩行者におかまいなく車が右折してくるのだから。

 路上駐車も事故の原因になる。2002年12月からウランバートルの一部で路上駐車の取締りを始めているが、違反は後を絶たないようだ(『ウヌードゥル』2003.8.15)。

 道路といえば、雨がちょっと降ったら大きな水たまりができるのは、昔と同じだ。とくにこの夏は雨が多く、滞在中もよく降った。水たまりを除け除け、道を歩くにも一苦労する。

 20~30㍉も降れば完全に冠水する通りが出てきて、「渡し」の商売が登場する。1人500トゥグルクで、背負って道を渡してくれる。

 舗装道路を延ばすだけでなく、排水溝も整備する必要がある。


赤い屋根のログハウス風の家(ウランバートル郊外)
赤い屋根のログハウス風の家(ウランバートル郊外)

こわい住宅

 街は高層建物の建設ラッシュだ。夏休みシーズンだというのに、建設労働者は働きづめである。住宅やマンション販売の新聞広告も目立つ。5~13階建てマンションの建設が多いそうだ。

 ウランバートルは地震地帯にあるため、新しい建物には耐震建築基準が適応されるが、基準を満たしているものは少ない(『ウヌードゥル』2003.7.9)。

 この記事でもっとショッキングなのは、新しい建物に欠陥住宅が少なくないこと。消費者権利保護協会が行った住宅品質調査(建設会社23社を対象)では、設計図、検査、建築資材、建築技術、労働安全などの面で基準を満たしていない事例が次々と明らかになったという。

 郊外に行けば、木造2階建て住宅の建設が目立つ。最近は、お金持ちの間で一戸建てへの人気が高まっている。

 伝統的住居のゲル(天幕)はフェルト製だから暖かそうだが、やはり寒いし、水の便は悪い。それでもまだ、郊外にはゲルが多く立ち並ぶ。

 郊外のこうした住居も安全とは限らない。今年7月18日の洪水ではバヤンゴル地区の被害がとくに大きく、約70世帯が浸水し、33世帯の住居が流された。だが、洪水危険地域と知りながら移住せず、そこで再建作業を進める人たちがいる(『ウヌードゥル』2003.7.31)。


<『モンゴル通信』№48(2003年11月、アルド書店)掲載>