1980年代 留学日記から

モンゴル国立大学の本館とチョイバルサン像(1986年9月、ウランバートル)
モンゴル国立大学の本館とチョイバルサン像(1986年9月、ウランバートル)

私のモンゴル1

口コミ文化


 モンゴルで生活し学んだ1984年9月から1986年9月まで2年間の体験は、何にも代えがたい私の宝物になった。他人の目にはただの石コロに映るかもしれないことを恐れず、この場を借りて、私の大切な宝物の数々を披露していこうと思う。


何か変わったことありませんか

 友人同士が通りでバッタリ出会い「サインバイノー(こんにちは)」と言いながら握手する。続いて、片方が「ソニンサイハンユーバイナウェー?(何か変わったことありませんか)」、あるいはかなり親しい間柄だと単に「ユーバイナウェー?(何か変わったことある?)」と聞く。すると聞かれた方は、何かあってもなくても反射的に「ユムグイ。サイハンタイワンバイナ(ありません、平穏です)」と答える。それから互いの近況報告、情報交換に進む。

 私は「こんにちは」に続くこのあいさつ言葉になかなか慣れず、何があっただろうかと本気で考え込んだ末に、おもむろに「ユムグイ デー(別にありませんよ)」と答えたものである。

 人っ子ひとりいない広大な草原ではかつて、人と会い話すということが、唯一と言ってもいい情報収集手段であった。そのような状況の中から「何か変わったことありませんか」というあいさつ言葉が生まれたのだろう。したがって、日本語の「お変わりありませんか」とは意味合いが少し違うようだ。

 現代の都会では新聞、ラジオ、テレビ等が普及しているとはいえ、まだまだ情報量が少なく、少しでも生活向上を望むなら、自分から積極的に情報収集のアンテナを張りめぐらす必要がある。

 どこかの店で普段、店頭に現れないものが出たら、広告や宣伝があるわけでもないのに、またたく間に大勢の人がその店にどっとおしかける。その秘密は強力な口コミュニケーションにある。たとえば、リンゴを持って歩いていたり、アイスクリームをなめながら歩いていたりすると、必ずすれ違う人の何人かから、ためらいなく「どこで売っているの?」と尋ねられる。

 モンゴル人が昔から好んできたアイル・ヘセッフ(知り合いの家を訪ね歩く)という習慣は、娯楽であると同時に、口コミュニケーションによる情報交換の意義を持つ。今のウランバートルでも娯楽施設、飲食店が少ないこともあって、アイル・ヘセッフがさかんになされている。

 物資の不足、情報手段の未発達、少ない情報量という状況の下では勢い口コミが発達する。また、これが人間同士のきずなを強めているようだ。

 路上で握手をした手をそのまま放さずに楽しげに立ち話をしている二人の中年男性。それほど親しくないのに、自然に腕を組んで歩いてくれる女友達。「ミニーフー(私の子)」「ミニードゥー(私の妹)よ」と優しく呼びかけてくれる寮のおばさん。彼らは皆、ごく当たり前のように助け合う。何かものを頼むとき、遠慮は無用だ。

 モンゴルでは、もちつもたれつの人間関係を直接、目にすることができる。あふれるモノや情報に囲まれているわれわれは、人間同士の堅いきずなを見失いがちである。モンゴルにおいても、産業・情報手段の発達によって将来、このような運命をたどるのであろうか。「人を訪ね歩く習慣は、仕事の邪魔になり無駄なことだ」とあるモンゴル人の先生が言っていた。

 日本であれ、モンゴルであれ、新たな歴史段階における新たな人間関係のあり方を模索していく必要があるようだ。


(大阪外国語大学モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1987年4月号掲載)