1980年代 留学日記から

テレルジの保養所(1985年1月、ウランバートルから東へ60~70㌔)
テレルジの保養所(1985年1月、ウランバートルから東へ60~70㌔)

私のモンゴル16

食料事情⑧ 新たな食文化をめざして


 モンゴルでは一体何を食べていたのか、と心配げによく尋ねられるが、これまで述べてきたように結構いろいろなものが手に入ったし、むしろ安くて安全で素朴な味の食べ物が気に入り、満足のいく食生活だった。もちろん、日本のように多種多様な食は望めないが、料理の腕次第でかなりカバーしていける。私のように料理が苦手な人は単調な食生活に甘んじなければならないとしても、美食家ではない私としては全く苦にならなかった。日本人男子の留学生がしょっちゅう、おなかをこわしたり、寿司などを恋しがっているの見て、女の方が適応力があるのかも、と思ったものだ。

 それでも、モンゴル人と全く同じ食生活ではちょっと辛い。体の方が野菜たっぷりを欲する。

 一度、冬休みの2週間をテレルジの保養所で過ごしたが、そこの食事には参った。たとえば、朝食がケーキ、パン、ミルク茶、昼食がパン、キャベツのサラダ、羊肉と野菜のスープ、ミルク茶、午後5時のおやつがパンケーキにアールツを煮たもの、そして午後7時の夕食はパン、肉入り焼きうどん、ミルク茶。おかげで、野菜に飢えつつ、しっかり太って寮に戻った。


モンゴル人の強烈パワー

 私を見て生粋のモンゴル人とよく言われたが、やはり体型、骨格が違う。一般的にモンゴル人は男性も女性も骨格ががっしりしていて骨太だ。とくに女性は骨盤が張っている。

 寮で同室だったジャルガルサイハンはモンゴル人にしては顔が小さく、体つきもほっそりしているので、初めて部屋に入ってきて二人を見た人は、彼女の方が日本人だと思う。ところが彼女の体重を聞いてびっくり。身長は私より3、4センチ高いが、体重は6キロ重く57キロもあるという。

 このようにモンゴル人はやせた人や小柄な人でも、体重が結構ある。骨や筋肉の重さの違いなのだろう。栄養たっぷりの羊肉や乳製品を日常的に食べてきているのだから、体格がわれわれと違うのも無理はない。

 長谷川四郎が戦中・戦後のシベリヤの捕虜収容所での体験をもとに書いた短編小説『ナスンボ』を読むと、ロシア人、日本人、モンゴル人三者の力の質の違いをうまく表現しているくだりがある。ロシア人の力は「重量挙げ」の力、日本人の力は頭脳を使った「柔軟な」力で、モンゴル人の力は「激しく燃える火のような」力だと。

 確かにモンゴル人の力は強烈だ。家畜から得た体の骨格と筋肉のパワーは、牧畜労働に十二分に発揮される。


新たな食文化を模索中

 しかし、同室のモンゴル人と三度三度の食事をとっていて気づくのは案外、小食なこと。遠慮して食べないのでは、と気にしていると、先輩留学生が「そんなことはない、彼らはよく食べる。ただし、あちこちでごちそうになったり、ポケットに飴などを入れていたり、常に何かを少しずつ食べている」と言う。

 確かに、知人の家を訪ねれば大抵、食事をさっと作って出してくれる。おかげで1日5回も6回も食事をとった日もあった。また勤務中、机の下から何やらゴソゴソ取り出して口をモグモグさせている店員をよく見かけた。

 モンゴルではまだ、栄養面や健康管理の面から1日に必要な食事の量や正しい食生活のあり方など、あまりうるさく言われていない。

 だが意外と、太ることを気にしている人は少なくない。朝、近くのセルベ川のほとりまで走りに行くと、ジョギングしている中年男女に出会う。風呂屋のサウナで出会ったトラック運転手の中年女性は「おなかの脂肪を取るため、休日には1日に何度もサウナに入る」と話していた。太らないようにかなり無理して食事制限をしていた女子学生もいた。

 どこの国の都会でもよく見られる現象だが、「飽食」と言われる日本とは事情が違う。モンゴルでは肉、乳製品が不足気味であるのにも関わらず、食料品の種類は少なく、いろんなものをバランスよく食べる習慣も確立していない。食生活の改善・多様化はモンゴル農牧業の発展とあいまって重要な課題であろう。既に始まっている農業・食料需給の改革に注目したい。そこらじゅうにしみついた羊肉の匂いと、彼らの強烈パワーは変わらないだろうなと思いつつ…。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1989年8月号掲載)