くっきりはっきりと独自性
「モンゴル近代絵画展」を見て
世界初の通史的展覧
2002年秋、福岡アジア美術館で開催されていた「モンゴル近代絵画展―その源流と展開―」を見た。日本モンゴル外交関係樹立30周年を記念したもので、東京ステーションギャラリーを皮切りに、02年7月から03年5月まで巡回展覧されている。
モンゴル近代美術の通史的な展覧は今回が世界初の試みだという。19世紀の仏教美術的な作風から、民主化後1990年代の抽象画風まで、モンゴル絵画のダイナミックな流れがつかめる。展示解説や図録によると、その「源流と展開」は以下の通り。
19世紀の仏教美術は近代前夜に位置づけられ、チベットで一般的に見られる「タンカ」と呼ばれる仏画が盛んに制作された。アップリケや刺繍による布製が多いのがモンゴルの特徴。布製ということは、移動に好都合であり、女性が制作に参加するということ。単純明快な色調・構成もモンゴル的。
20世紀に入ると世俗画や風俗画が登場し、近代絵画の始まりを告げる。西洋絵画の影響を受けて、伝統的なモンゴル画(洋画に対する日本画のようなもの)がいきいきとしたリアリズムを獲得する。その傑出した画家は何といってもB・シャラヴ(1869~1939年)。「モンゴルの一日」「馬乳酒祭」はモンゴル人の生活を余すことなく描いており、見ていて飽きることはない。作者不詳だが、ウーチュールというモンゴルのカードゲームの札絵も興味を引いた。図鑑のように、さまざまな動物がいきいきと描かれている。
革命後、洋画制作が本格化するのはソ連留学から画家たちが帰国し始める1950年代である。なかでも、留学帰り第一世代のN・ツルテム(1923~2001年)はモンゴル近代絵画の巨匠の一人で、モンゴル美術史研究のパイオニア。次々と発表される洋画に刺激されて、50年代末にはU・ヤダムスレン(1905~1986年)らによってモンゴル画が復興する。
1960年代に入ると、西欧モダニズムの影響を受けた作品が登場する。O・ツェヴェグジャヴ(1915~1975年)の「母の白い心」(1968年)はモンゴル初の抽象画である。これを展示した展覧会は政府から「ブルジョア的」という理由で中止に追い込まれた。亡き母を追慕して描いたもので、緑色の大地に乳白色の帯が青い天空を突き抜けて降りている。小品ながら、斬新でインパクトのある作品である。
60年代以後、抽象的な風景画が次々と発表されているが、これほど非具象的な作品はないだろう。モダニズムはむしろ、モンゴル画の平面性や装飾性を取り入れ、鮮やかな色彩を使う形でモンゴル独自の発展を遂げる。
1990年代、アーティストらは社会主義国家による経済的保障を失うが、表現の自由を得る。主題や表現方法にタブーがなくなる。Ch・フレルバータルは「最後の祈り」(1993年)でスターリン主義・粛清時代の寺院弾圧を、「天の助けにより」(1994年)でチンギスハーンの生涯を描いた。Ts・エンフジャルガルの「月の子どもたち」(1993年)はウランバートルのストリートチルドレンを描いている。
欠かせぬ天空と大地
激動の時代、モンゴル近代絵画は発展し続けてきた。だが、そこにモンゴル的独自性が一貫して流れていることに気づく。モンゴル近代絵画の印象を大まかに言えば、輪郭がくっきりしていて、色彩が鮮やか、構成が単純明快、そして天空と大地(地平線)が重要なモチーフになっていることではないか。
他のアジア諸国と比べると、モンゴル絵画は西欧の直接的影響が少ない。福岡アジア美術館の担当学芸員(02年9月から福岡大学大学院教授)の後小路雅弘氏は会期中の講演会で、このように指摘した。空気が澄んでいて光が美しいモンゴルでは、すべてがくっきりはっきりと見える。天空や大地を崇拝するアニミズム的な自然観は今も息づく。そんな自然や自然観がにじみ出た作品に、他所にはない魅力、独自性があるのだという。
「くっきり、はっきり」のモンゴル絵画に「深み」があまりない、という私の認識は一変した。「くっきり、はっきり」の世界は、モンゴル独自の明快な抽象画の世界に通じる。
だが、ウランバートルのガンダン寺の狛犬やチョイジンラマ寺のぬいぐるみの飾り物を見ても、現代アートを連想したりしない。後小路氏は「こわくてかわいい」現代ポップアートを連想したという。さすが美術研究者は見る目が違うと感心した。
<『モンゴル通信』№46(2003年1月、アルド書店)掲載>
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