遅れてやって来た「緑の革命」
1998年2月、モンゴル政府は「緑の革命」国家プログラムをスタートさせた。目的は雇用創出、貧困緩和、食料輸入軽減、中小経営育成。カナダからの援助で野菜の種を配布して、農園づくりを進める。98年には2億7500万トグルクの国家予算が「緑の革命」に当てられ、86の農園が創設され、10~15%の雇用増をもたらしたという<ウヌゥードゥル99.3.25>。
持続不可能な農業に
しかし、「緑の革命」には、言葉の響きとは裏腹に影の部分がつきまとう。
1950年代以降、多くの発展途上国が食料増産、雇用創出、貧困緩和を目的に国家プロジェクトとして「緑の革命」に取り組んできた。先進国の援助を受けながら、品種改良、灌漑、肥料、農薬などによって、農業を近代化し、収量を上げる。
その結果、食料増産をもたらしたが、農民の貧富の格差や地域間格差が広がった。さらには生態系破壊、土壌劣化により、食料増産どころか耕作不可能になる事例も出ている。
インドのパンジャブ州では「緑の革命」により米国型の農業が押し付けられ、巨大な小麦地帯がつくり出される。だが改良種子、化学肥料、農薬が長年、投入され続けた結果、多国籍アグリビジネス企業は大儲けした一方で、農地は塩害に侵され荒廃。「緑の革命」が持続不可能な農業をもたらした典型例である。
低コストの農園づくり
モンゴルの「緑の革命」も従来のものと同じだろうか。失業や貧困の緩和を目的に、国家プロジェクトとして取り組まれている点では共通している。だが、従来の「緑の革命」に付きものの灌漑、水資源開発など大規模開発の計画はない。
外国の援助、巨額投資による大規模農地開発ではなく、コストをかけずに中小規模の農園をいくつもつくって、中小経営を育て、雇用拡大を図ることに狙いがあるようだ。だから、農園づくりの拠点は普通学校、主な作物はじゃがいもなどの野菜ということになるのだろう。
しかし、毎日の食生活に欠かせない小麦の生産を、「緑の革命」の中であまり重視していないのが気にかかる。
農業再生を
1990年までモンゴルは小麦を自給自足し、輸出もしていた。90年以降国営農場の解体、小麦の輸入自由化とともに、急速に作付面積が減少。92年から小麦輸入国に。小麦収穫量は、89年の83万9000トンから99年には19万トンに落ち込んだ。中国から大量に小麦が輸入され、米国から毎年1万トン、2万トンの援助小麦が入ってくる。
小麦は輸入や援助に頼っていればいい、と政府は考えているのか。
農業創始40周年記念の集会で、バガバンディ大統領は「1960年代以来耕作農業を積極的に発展させたことは20世紀にモンゴル国民が成し遂げた功績の一つだ」とし、食料安保の点からも、1960年レベルに落ち込んだ農業を再生させなければならないと強調している<ウヌゥードゥル99.11.22>。だが、農業再生には財源問題と牧畜業との共存問題にぶつかる、と歯切れが悪い。
モンゴルでは外国の政府(ODA)、あるいはNGOと組んでさまざまな農業再生プロジェクトが取り組まれている。そういう取り組みをすべて否定しないが、小麦の輸入制限や価格安定政策を実行するだけでも再生への道は開けるのではないだろうか。
「緑の革命」第2段階として、自然環境省が植林・緑化事業を計画しているという<ウンデスニーエルフ 99.1.11>。
自然条件の特殊性もあって、モンゴルに遅れてやって来た「緑の革命」は、影の部分があまり見られず、まだ未知数の面が大きい。
ただ、多くの発展途上国で「緑の革命」で多国籍企業の餌食になったり、貧困が拡大したり、持続不可能な農業がもたらされたりしたことを思うと、とても心配なのである。
*参考:『開発援助の光と影』(1995年、農文協「世界の食料・世界の農村」11)/ヴァンダナ・シヴァ著『緑の革命とその暴力』(1997年、日本経済評論社)
<『モンゴル通信』№36(2000年1月、アルド書店)掲載>
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