1990年代

トゥルンギーンチョロー スフバートル県西端の巨大な花崗岩。背景には車の往来でできた草原の道
トゥルンギーンチョロー スフバートル県西端の巨大な花崗岩。背景には車の往来でできた草原の道

1997年夏の印象――モンゴル東部へ2000㌔の旅(2)

草原の道


  10年程前までモンゴルでは外国人は自由勝手に地方を旅行することができなかったが、今は自由だ。ただし、公共の交通機関が発達していないので、車と運転手を確保しないことには自由に移動できるとはいえない。

  草原のドライブというと快適な響きがするが、モンゴルのいなか道は甘くない。ナムジム先生親子の運転はとても慎重なので、頭を天井などに打ちつけることはなかった。デコボコ道だけでない、川あり、ぬかるみありで運転手は気が抜けない。そのうえ正しい道を行っているのか常に不安がつきまとい、牧民に道を聞き聞きしながら、そして車の調子を気にしながら目的地に向かわなければならない。

  草原を走っていると、自動車というものは舗装道路があってこそ、まともに走るのだとつくづく感じる。逆に言えば、舗装されていない道は馬やラクダで行く方が有利な場合があるということだ。留学時代の地方旅行で夜、ぬかるんだ道にトラックが何台も立ち往生していた光景に出くわしたときはちょっとショックだった。それでも人っ子ひとりいない草原に縦横に舗装道路を通すなんて、たとえ財政的に可能でも壮大な無駄に思えた。

  今、地方でも車の往来がどんどん増えている。交通量が比較的多いところではゲルの食堂が並び、車から降りるとあちこちから「野菜スープがあるよ」「肉うどんがあるよ」といった声が上がる。車のよく通るそういう道は何車線にもなっている。いくらでも脇にそれて道なき道を行けるのだから、放っておけば道路周辺の草原がダメになってしまう。

  それに車がひどく傷む。あるグループはウランバートルからダルハンに行くのに、1台がダメになるのを見込んで車2台を連ねて出発したという。

  安全性のためにも幹線道路の舗装化は必要だろう。とくに夜道は危ない。地方ではオートバイに乗る人が増えているが、これもデコボコ道で転倒したら命とりだ。ナムジム先生のお兄さんは次男をオートバイ事故で亡くした。

  しかし1km舗装するのに1億トグルクかかる。日本政府の無償援助でナライハ~トゥブ県エルデネ間など首都周辺地域から舗装道路建設が進んでいるようだが、舗装道路の快適草原ドライブの実現は大分先のことだろう。

  たとえ舗装が進んでも、整備・修理が心配だ。

  ウランバートル市街地の道路は完全に舗装されているが、あちこちが傷んでいる。道路の損傷のため、日本政府援助のバスが3年使えるところが半分の期間しか運行できない事態になったり、交通安全にも影響が出ているという批判記事が<アルディンエルフ 1997.8.9 No.180>に出ていた。道路修理の財源がないというが、ガソリン1リットルの価格のうち13%を道路維持費としてとっているから財源はあるはずだ、とも指摘している。また、ウランバートルの道路網改善整備計画に日本の援助が入り、建設省九州建設局鹿児島事務所が事前調査に当たるという<アルディンエルフ 1997.8.15 No.185>。

  舗装が簡単に進まないなら、せめて道標はつけられないものだろうか。スフバートル県で水先案内をしてくれたベテラン運転手もさすがに夜は方角がわからなくなり、必死に星座を見て確かめていた。

  それにしても最終日は夜を徹して走行するなど、5日間にわたる約2000kmもの強行軍を安全運転した運転手お二人には脱帽する。

 

<『モンゴル通信』№28(1998年1月、アルド書店)掲載>