私のモンゴル3
地方の視点
都会のウランバートルにへばりついていたのでは本物のモンゴルはわからない。
生活や風景はもちろん、気候の面でもウランバートルはモンゴルの中でもかなり特殊なところではないだろうか。地方に較べて暖かく、降水量が多く、風がなく、草木も多い。地方からの帰途、飛行機がウランバートルに近づくにつれ、トーラ川の川幅が広くなり、山や平原がどんどん青くなっていたのが印象的だ。ウランバートルはモンゴルの「湿潤温帯」地域だ。
ぬかるみのいなか道
幸いにも、われわれ留学生は本物のモンゴルに触れる機会を与えてもらっている。留学生、引率の先生2人、運転手1人と計約15人が6月後半の約2週間、モンゴル中央部のトゥブ、ボルガン、ウブルハンガイ、アルハンガイの4アイマク(県)へ約1500kmにわたる旅をする。食料、調理具、薪、テント、ふとん等をマイクロバスに積んで出発。川や泉や井戸で水を汲み、3度の食事を作り、寝場所を確保しながら、歴史遺跡を見学したり、牧民の家にあがりこんだり、家畜の群れを見たりするなかでモンゴルのいなかを実感する。
ウランバートルから西へ132kmのルンという町を過ぎ、トーラ川を渡ると、道は舗装道路でなくなる。砂ぼこりを立て、ガタガタ揺られながら、時には座席から跳ね上がりながらの旅が始まる。このいなか道をひとつとっても、さまざまなことを考えさせられる。
1度目の地方旅行のとき、予定日数をあと2日残すところで、ポーランドとフランスの女の子が1日も早くウランバートルに戻りたいと主張。われわれは帰途を急ぎ、少し危険を冒して、夜っぴいて走ることにした。
月夜の草原のドライブをスリリングに楽しんだのも束の間、後ろの両タイヤがパンクし、その取替え作業に男5人で約2時間。夜中の1時半、再出発。ところが、1時間も行かない所でまたストップ。見ると、トラック約20台が立ち往生している。この辺は砂地で、昨日からの雨でぬかるみの世界と化したようだ。先頭の2~3台は完全にはまってどうにも動けない。この道が完全に乾いて通行可能になるには最低2~3日かかる、と運転手ネルグイが判定。引き返して、もう一つの道、南経路をとってウランバートルに帰ることにした。
くたくたになって帰ってきてから、われわれはいい経験をしたと話し合った。闇の中、ぬかるんだ道路にトラックが20台も連なって立ち往生している光景は不気味だった。だだっ広い平原で夜中に動きがとれなくなっても、救援を求めることができない。これが冬だったらと思うとぞっとする。
冬のさなか、平原で車が故障して凍死してしまった運転手の話を聞いたことがある。大抵はそうなる前に車を燃やして生き延びるそうだが…。モンゴルの長距離運転手は命がけで仕事に当たる(だが、かなりの高賃金で、あちこちに行けて何かと得をするということもあって、自動車運転手はモンゴルでは最も人気の高い職種の一つだ)。
われわれはモンゴルのいなか道の恐ろしさを思い知った。同時に、車というものは便利だが、ちゃんとした舗装道路があってこそ初めてその役割が果たせるものだということも痛感した。しかし、モンゴル全土に舗装道路を張りめぐらせるなんて至難のわざ。それどころか、人の気配がまったくない大平原では無駄なことのような気さえする。もっと高水準の科学技術による新たな交通手段が登場するまで、まだ現段階では、自動車より馬やラクダで移動する方がずっとた易い場合もあるのではないか、とふと思った。
西と東からの提言
移動にもっとラクダを
1985年3月15日と16日付けの『ウネン』新聞に掲載された2通の投書にはハッとさせられた。コブド・アイマク(県)のツェツェック・ソム(郡)の人民革命党郡書記長B・バーサンジャブとスフバートル・アイマクの検事Ch・ジャルバスレンが投稿したものだ。両氏とも、家畜を交通手段として使ってきた伝統がトラックやオートバイによって失われつつあること嘆き、現在でも家畜を移動や運搬に利用することは効果的で現実的だと主張し、利用推進のための具体策を提案している。
バーサンジャブ氏によると、山道などでは車で遠回りして1日かかるようなところを、ラクダで行くと半日で済む。それなのに宿営地の移動にも車を使う牧民が増えており、山間部では車道が雪に埋もれる前に、と時機を待たずに早々と冬宿営地に移ってしまう。その結果、牧草資源の消耗が激しくなる。
ジャルバスレン氏は、最近の県の牧畜不振の原因を以下のように指摘している。ネグデル(農牧協同組合)にいくら乗用車やトラクターの台数が増えたとはいえ、全牧民世帯に行きわたっているわけではない。にもかかわらず、車で移動しようとするので、夏まで冬営地に居ついていたり、初冬になっても夏営地を動かなかったりする牧民が少なくない。家畜群を安定して育てるには、春から秋にかけての移動放牧(オトル・ヌーデル)が欠かせないというのにだ。また、オートバイで騒音・砂ぼこりを立てながら家畜を追うのはもってのほかで、近年、これが原因で家畜の不妊や早産・死産などの異常出産が増加している。ネグデル財政の面でも、主に宿営地の移動、畜糞・薪集めに自動車を使っていたのでは採算に合わないし、羊毛の運搬など他の重要な仕事に支障を来たす。
両氏は、家畜を運搬・乗用として利用することの有効性・利点を明らかにし、その奨励策として、特別手当金の支給や行政指導の促進など具体策をいくつか提案している。うち注目すべきものをあげておこう。
バーサンジャブ氏は、全牧民がラクダを純粋に個人のものとして所有することが必要だと主張している。ラクダを荷駄・乗用に調教するには、細かな手順、特別な技術、細心の注意を要し、集団的飼育にはなじまない。全牧民がラクダを手に入れられるよう、ラクダのネグデル価格を引き下げるべきだと提言している。
ジャルバスレン氏は、平常時に宿営地移動や家畜放牧に自動車やオートバイを使用することを法律で禁止すべきだと提案している。
モンゴルの西と東から来た2通の投書は、まさに現場からの声だ。牧畜業を大事に育てあげていこうという地方の指導者・知識人の意気込みが感じられる。
政治はこのようでなくてはと思った。地域の現実をよく知った上で、無理なく堅実に発展できて、地域の人々の納得と支持が得られるような政策を打ち出し、実行すること。それが政治の本来のあり方ではないだろうか。
家畜を運搬・乗用としてもっと利用しようという提言は一見、時代の流れに逆行しているかのようだが、地域、現場の実態を如実に反映している。モンゴルの地方の自然条件、社会条件、経済条件から考えて、牧畜業における「機械化」にはかなり慎重でなければならない。その慎重さが未来に向けての確実な発展を約束する。
モンゴルの地方に行ったり、地方からの現場の声を聞いたりすると、自然を著しく破壊してきた近代文明について考えずにはいられない。自然性と人間性が調和した地域社会に向け何をすべきか、私たちにとって切実なこの問いのヒントがあそこにはたくさん見出せる。
(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1988年3月号掲載)
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