2010年代

宿泊したゲストハウスが入るマンション
宿泊したゲストハウスが入るマンション

ウランバートル2015年秋  3

郊外へ

 

  ビジネスや観光でモンゴルに来る外国人が多く、ウランバートルではホテルやゲストハウスが急増している。

 今回はマンションの一部を利用したゲストハウスに宿泊した。比較的安く、ノミン百貨店近くで便利だった。ただ、トイレ・バスが共同使用。暗証式キーを持たされ、マンション入り口と玄関と部屋の3ヵ所のカギの開け閉めも結構面倒だ。経営者はゴビ出身で、スタッフのほとんどが英語が話せる。宿泊客はほとんど欧米人で、ほぼ満室のようだった。南ゴビツアーなども随時催行している。

 モンゴルを堪能するには地方に行くべきだが、今回はウランバートル市内と近郊にとどめた。ウランバートルから北東のダンバダルジャー日本人墓地跡と南西方向のホスタイ国立公園を初めて訪ねた。

 

公園として整備されているダンバダルジャー日本人墓地跡
公園として整備されているダンバダルジャー日本人墓地跡

ダンバダルジャー日本人墓地跡

 

  ダンバダルジャー日本人墓地跡は市内中心部から車で30分ほど、ダンバダルジャー寺院(1765年建立)のすぐ近くにある。

 第二次世界大戦後1945~47年にモンゴルで死亡した日本人抑留者が埋葬された場所である。慰霊公園として整備されており、整備のための寄付金募集の看板が園内に日本語で掲げられていた。巨大な慰霊碑は日本政府が2001年10月に建立したものだ。

 旧ソ連の捕虜となった60万~70万人の日本軍将兵が戦後、シベリアやモンゴルに抑留され、飢えと寒さのなか過酷な強制労働を科せられた。明らかにソ連のポツダム宣言違反、不法行為である。抑留中の死者数は日本政府の推計で約5万5千人にのぼる。

 山邊愼吾著『ウランバートル捕虜収容病院』(1991年草思社)によれば、モンゴルには約1万5000人が連行され1864人が死亡した。厚労省によると、モンゴル政府が日本政府に提供した名簿登載死者数は1597人で、うちダンバダルジャー墓地の死者が半数超の835人。オペラ劇場、政府庁舎などスフバータル広場周辺の主な建物は日本人抑留者によって建てられた。

 

仔馬も含め10頭ぐらいのタヒの群れ
仔馬も含め10頭ぐらいのタヒの群れ

野生馬がいるホスタイ国立公園

 

 ウランバートル市内中心部から西へ約95㌔、世界唯一の野生馬、タヒが生息するホスタイ国立公園も訪ねた。

 モンゴルに生息していたタヒは1960年代後半に絶滅した。1992年、オランダから15頭のタヒを譲り受け、ホスタイ高原での野生馬復帰プロジェクトが始まる。翌年、国立公園となり、2000年までに84頭のタヒが持ち込まれた。2015年現在、タヒは32の群れ、320頭に達し、うち95%以上がモンゴル生まれだという。

 ただ、タヒを見つけるのはそう簡単ではない。連れて行ってくれた知人が公園レンジャーからの情報を得て、何とか見つけられたが、32の群れがいるといっても5万600ha(日本の東北地方全域ぐらいに相当)もの広大な草原を移動しているのだ。一つでも群れを見つけられたらラッキーと思った方がいい。

 今回はタヒの群れを見てすぐ帰ったが、1~3日かけて(宿泊キャンプあり)双眼鏡片手にじっくり観察すべき所だろう。タヒ以外にもさまざまな野生植物・動物、野鳥が見られ、石人像など古代史跡もある。

 ウランバートル近郊でモンゴルの大自然を満喫できるので、外国人観光客に人気があるようだ。

 

(2016年3月)